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[File55] 太平洋美術会
明治から脈々と続いてきた、その歴史の流れをたどる ─
国内最古の美術団体が、新たな節目として開催する記念展

2019/2/26 ※更新2022/7/7
鑑賞者で賑わう太平洋展の展示風景(国立新美術館/六本木)
太平洋美術会は、その前身「明治美術会」の創立から数えて、今年で創立130年。
日本洋画史の幕開け期に誕生し、明治、大正、昭和、平成の四世代に渡って活動を続けてきた、国内で最も古い洋画団体である。節目となる第115回記念展のみどころを、理事、運営委員のみなさんに詳しくうかがった。
幾多の作家を送り出してきた、1世紀を超える歴史
  • 太平洋美術会は、日本最古の歴史を誇る美術団体だ。
  • アーネスト・フェノロサや岡倉天心らによる洋画排斥運動への反発から、明治22(1889)年、松岡寿、小山正太郎、浅井忠らが、洋画家の団結を果たし、洋画の制作を積極的に推進する「明治美術会」を創立した。その後、内部改革を経て明治35年(1902)、吉田博、満谷国四郎、中川八郎、石川寅治、大下藤次郎、丸山晩霞らによって「太平洋画会」として改称、創立し、第1回展を東京・上野公園の旧博覧会跡第5号館で開催した。
  • 明治37年(1904)、谷中清水町に洋画研究所を開設し、翌年谷中真島町に移転。昭和4年(1929)、同研究所を「太平洋美術学校」と改称、初代校長に中村不折を擁し、官立美術学校と対抗した、在野における唯一の存在として、日本美術史に残る優れた画家、彫刻家を送り出してきた。
  • 太平洋美術学校は昭和20年(1945)3月の戦災で校舎を焼失し、休校となったが、昭和32年(1957)、現在地に校舎を完成、堀進二を校長として再開。この年「太平洋画会」を「太平洋美術会」に改称した。
  • 昭和30年(1955)には染織部が創立、昭和31年(1956)には澤田政廣、堀進二、山本豊一ら第一線の指導者を招いて彫刻部の充実がなされた。そして昭和47年(1972)に絵画部より版画部が独立し、現在の体制である洋画・彫刻・版画・染色の4部門が確立した。
  • こうしてそれぞれに気鋭の会員・会友が制作・発表を続け、また太平洋美術学校は「太平洋美術研究所」として、現在も多くの研究生が学んでいる。
  • 会員として会展に出品し、あるいは会の研究生として学んで、太平洋美術会とゆかりを結んだ作家たちの一部を書き留めてみるだけでも、坂本繁二郎、中村彝、鹿子木孟郎、石井柏亭、新海竹太郎、荻原守衛、中原悌二郎、朝倉文夫、藤井浩祐、古賀春江、靉光、松本竣介、有本利夫……など、枚挙にいとまがない。
  • まさに、日本近代美術の幕開けとともに登場し、その歴史とともに歩みを進めてきた団体なのである。
  • 今年(2019年)の太平洋展は、明治35年の第1回太平洋画会展から第115回目となる記念展であり、明治22年の太平洋美術会の前身・明治美術会の結成から130年目にあたる。
  • この節目に合わせた特別展示が、展示室の第一室正面で企画されている。
  • テーマは、どのようなものになるのだろうか。
  • 詳しい企画趣旨を、常務理事の佐田昌治氏と、運営委員の方々にうかがった。
日本の近代美術を牽引してきた作家たちが一堂に
  • 「明治、大正、昭和、平成にわたって営々と築かれてきた太平洋美術会の歴史は、ある意味、日本の洋画の歴史そのものと言えます。第115回記念展では、その歴史を紹介するものにしたいと思っています」と佐田氏。
  • 具体的には、絵画、彫刻、染織、版画の4部門で構成される太平洋美術会の歴史の中で、会の発展に貢献した代表的な作家の作品を展示し、明治美術会、太平洋画会、太平洋美術会の歴史の流れを紹介するというものだ。
  • 展示予定の主な作品を、作家とともに取り上げてみたい。
  • まず、太平洋美術学校の初代校長、中村不折(1866~1943)。中村は明治34〜38年(1901〜05)、ミュシャ、マティスなどを輩出したパリの画塾「アカデミー・ジュリアン」で、ジャン=ポール・ローランスより、正統派アカデミズムの流れを汲んだ油彩表現を学んだ。今回展示される《老人の像》は、中村がフランス留学時代に描いた木炭デッサンである。
  • 帰国後、太平洋美術学校の校長に就任すると、自身の制作の傍ら、アカデミー・ジュリアンのカリキュラムを導入して後進の育成にあたった。デッサン力の研鑽を基本とするこのカリキュラムは、現在まで継承されている。16歳から当会で学び始めた佐田昌治氏にとっても、このデッサンは人体表現の一つの到達点として、常に目標としてきたものだという。
中村不折《老人の像》 明治34年(1901)
  • 次に、明治35年の太平洋画会改称の発起人であり、昭和22年に会長に就任した吉田博(1876〜1950)。
  • 吉田は明治32年(1899)に中川八郎と渡米し、デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開催、水彩の卓越した表現力で大きな成功を収めた。帰国後は、国内外の山や田園を旅して風景画を制作し、大正9年(1920)頃から、洋画の描写法に浮世絵の多色刷り技法を融合した木版の風景画を発表するようになる。その精緻で叙情にあふれた表現は、日本以上に海外で高い評価を得た。
  • 本展では、デトロイト美術館に買い上げられた水彩画《雲井桜》のほか、ダイアナ元英国皇太子妃の執務室に飾られていたことで世界的に注目を集めた木版画《猿澤池》、そして、時間による景色の移り変わりを得意とした吉田の代表作《瀬戸内海集》のなかの《帆船 朝》《帆船 夕》などを展示する。《雲井桜》だけは、作品に感銘を受けたデトロイト美術館館長がつくらせた複製画だが、精巧な出来で、状態も良好なものだという。
  • 近年、吉田博はいくつかの大規模な企画展が開催され、再評価の機運が高まっている。
  • 「吉田先生のみならず、太平洋画会には大きな功績を残しながら時の流れのなかで忘れられている作家も多い。欲を言えば、今後は、そんな人たちをもっと掘り起こして、一人ひとり紹介していけたらと思っています」と、佐田氏は語る。
吉田博《雲井桜》水彩(複製画)
吉田博《猿沢池》1933年、木版
吉田博《帆船 朝》1926年、木版
1987年発行の英国王室専門誌『Majesty』より。ダイアナ英国皇太子妃(当時)の宮殿内執務室に、《猿澤池》、そして《光る海》(1926年)が掛けられていた。この写真によって、吉田の木版作品の海外人気がさらに高まったと言われる(写真提供:吉田興文氏)
作家たちの作品に見る、創設以来の自由な精神
  • 彫刻家、堀進二(1890〜1978)は16歳のときに太平洋画会研究所に入門し、新海竹太郎から指導を受けて頭角を表した。東京帝国大学工学部建築学科でも彫塑の講義を長年受け持っていた縁から、東大ゆかりの著名な人物の肖像彫刻も多数制作している。
  • 堀は戦前から太平洋画会の評議員、常務委員を務め、後進の教育に尽力していたが、戦後は、戦災で焼失した太平洋美術学校の再建に尽くし、校舎建築費用の工面のため、会員たちから作品を募り、その売上金を建設資金にした。昭和32年、新校舎再建後には校長に就任するなど、生涯を太平洋画会とともに過ごした。
  • 堀から直接指導を受けた佐田氏たちは、堀の、
  • 「人を大切にしろ」
  • 「自分の力半分、人の力半分でこの世界はできている」
  • という言葉を、今も耳にとどめている。
  • 「戦前も戦後も、画業を志す人であれば外国人でも障害をもつ人でも、隔てなく受け入れて面倒を見ていました。堀先生に限らず、心の暖かい先生が多かったですね」
  • 今回の記念展では、会所蔵の堀進二作品、2点が出品される。
堀進二《M老人像》 大正7年(1918)、ブロンズ 第12回文展特選受賞
堀進二《舞踏》1965年、ブロンズ

堀が新校舎建設資金として、会に関係した作家たちに作品寄贈を頼んだ際のノート。

一人ひとり詳細に記録されている。

  • そのほか、寓話的な人物表現を得意とし、昭和28年(1953)から昭和38年(1963)まで会長として戦後の活動復興に尽力した布施信太郎(1899〜1965)の油彩画や、神仏や女性美、能や歌舞伎などを題材とした精緻な彩色木彫を手がけた平野富山(1911〜89)、天然染料を用いたろうけつ草木染め技法で、染織の世界に絵画性豊かな独自の世界を築いた二科十朗(1906〜78)、ろうけつ、型染め、スクリーンプリントなどから、江戸染、江戸小紋、本藍染などの伝統技法までもを幅広く手がけた野口道方(1906〜91)、そして日本の土俗文化を題材とした版画に取り組んだ秋山巌(1921〜2014)と、歴代の太平洋画会、太平洋美術会の要職をつとめ、日本の美術界をも牽引した作家たちの作品が予定されている。
平野富山《釈迦如来像》木彫彩色
礎の精神に思いを馳せ、さらに新しい時代へと歩みを進める
  • 「歴代の先生方は、派閥や上下にこだわらない自由な精神を持ち、皆、後輩の面倒を見て育てることに熱心な方々ばかりでした」
  • 太平洋美術会の特徴を、佐田氏はこのように述べる。
  • 「中村不折先生由来の指導内容は、正確な描写力を重視してはいましたが、同時に伝統と進取の精神で新しい表現を目指すというもので、個々の作家としての特性や、自由な活動を尊重したものでした。私の入会時にもその空気は受け継がれていて、教官と学生の間に礼節はあっても垣根はなく、授業が終われば一対一の芸術家仲間としての活発な親交がありました」
  • この柔軟な精神が、日本の美術史に残る作家を多く生み出し、日本の近代画壇を活性化させた原動力となったのは間違いないだろう。
  • 第115回展の特別展は、創立から1世紀以上を超えた今、太平洋美術会の礎を築いた人びとへと思いを馳せ、その精神をさらに未来へと引き継いでいく、記念碑的なものになりそうである。
お話をうかがった太平洋美術会第115回記念展運営委員のみなさん。
左から、吉田興文、平野千里、佐田昌治常務理事、鈴木國男(敬称略)
(構成=合田真子)
公募情報
太平洋美術会
第115回記念 太平洋展 ※終了致しました。
  • 日程
  • 2019年5月15日(水) ~ 27日(月) ※休館日5月21日(火)
  • 10:00〜18:00(5月17日(金)・24日(金)は10:00~20:00)
  • 最終日10:00~15:00
  • 会場
  • 国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)
  • 種類
  • 自作未発表の油彩、水彩、版画、彫刻、染織作品を出品することができます。
  • 点数
  • 各種別とも制限しません。
  • 作品の大きさ
  • 油彩(30号以上500号まで)・水彩(30号以上80号まで)、版画・染織は特に制限しないが壁面に耐えられる大きさとし、彫刻は美術館規定によります。額装のガラスは不可(アクリルは可)。
  • なお、一般者のみを対象として、油彩・水彩・パステルなどで「20号限定サイズ作品」を募集します。
  • 出品申込締切
  • 2019年4月10日(水)
  • 搬入日時
  • 2019年5月6日(月・振休) 10:00〜15:00
  • 出品料
  • 各種別とも一部門につき2点まで
  • 一般は11,500円、但し、25歳以下は6,500円(証明書写し添付)。
  • 会員・会友は13,500円(ともにカラー図録代・送料含む)。
  • 会員・会友・一般とも1点増すごとに2,000円加算。「20号限定サイズ作品」も一般と全て同じです。

第115回記念展チラシ

第115回記念太平洋展 特別展出品
  • 洋画部
  • 中村不折 木炭デッサン《老人の像》
  • 吉田博
  • ・水彩《雲井桜》(複製画)
  • ・油彩《瀬戸内海》
  • ・木版《猿澤池》1933年
  • ・木版《マッターホルン昼》1925年
  • ・木版《帆船朝》《帆船夕》1926年
  • 布施信太朗 油彩2点
  • 彫刻部
  • 堀進二
  • ・ブロンズ《M老人像》1918年
  • ・ブロンズ《舞踏》1965年
  • 平野富山 木彫彩色《釈迦如来》
  • 版画部
  • 秋山巌
  • 染織部
  • 二科十朗
  • 野口道方
  • ※その他詳細は、太平洋美術会ホームページ参照。

 

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